古庭で、鬼や霊が 哭いている。
仏像が、壊され、なたで削られ
薪にされ、ひどい様子を見て、
書かれた言葉です。
仏に救われる筈だった
鬼迄が、救ってくれる仏が破壊されて
哭いている様を私は
思わず想像してしまいました。
それは、泣く、では無く
哭く。
魂が震えるような、悲しさなのでしょう。
怖い筈の鬼の悲しみを思った時
その救いの無さのあまりの辛さに
私迄、思わず泣けて、しまいました。
でも天心は、
実際荒廃し、首や腕、足を削がれた仏像を
目の当たりにした時、それを感じたのでしょう。
魂籠もる仏像を、ただの木ぎれにしか見えないなんて
とても、恐ろしい事だと、
気付く人だったのだと、思います。
気づかないのは幸いな位の
光の一筋も無い、絶望なのでしょう。
罪が決して、許されなければ。
気持ちや魂は、見えません。
でも見えないからこそ、
とても大切なものだと、気づく事が無ければ
魂が、迷います。
迷わない為人は
信仰の対象として、仏像を、
作ったのだと思います。
それは確かに、木ぎれです。
ただの、象徴でしか、無いのでしょう。
でもそれが無ければ
迷う程人の魂は脆いものだと
気づく人は
幸いだと 私は思います。
なぜなら、それを知っている人は多分
決して、迷う事が無い人だと、
思うからです。